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さがみ愛育会「情報誌」から

H22年5月号より

 

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「特 集」

子どもの環境と世界の就学前施設の潮流になりつつある「子ども創造性、主体性」を柱とする様々な保育プログラムと保育臨床的な視点からの問題

〜保育環境のベースにおいて忘れてはならないこと〜

* 福祉国家先進モデルの中にみるヒント

民主党は2009年7月のマニフェストにおいて、子どもについての教育と福祉を一元的に扱う「こども家庭省設置」を謳い、2010年1月27日の参議院予算委員会の席上で鳩山総理は「こどもに関する施策を一本化し、質の高い保育の環境を整備するため、2011年通常国会までに幼保一元化関連法案を提出する」という考えを明らかにしました。

急激に変化しつつある子どもを取り巻く環境の中で一足先に「幼保一元化」を推し進めた国「スウェーデン」があります。 この国では、地方自治体の責任の下、エデュケーション(教育)とケア(養護)を一つにした「エデュケア」という概念をキープランにして、統合をされた形の就学前学校を作りあげています。その中身をみるとクラス編成は異年齢の子どもが多くとも15〜20人までとなり、保育者と子どもの比率は原則として1対5を守っています。

ちなみに保育室の構成は1クラス、平均4部屋以上が普通で、食堂兼作業室、遊戯室、絵画木工室、小遊戯室(ごっこ遊び用)という形から単純な食寝分離も当たり前のように行われています。 核となる理念には、豊富な自然体験や環境教育など子ども本位のテーマ活動の様子を「子どもへの十分な観察」からみえる写真や教育士の見立てによるドキュメンテーションという形で収録したり、個々に作成することを推奨する等、目下、大改革を遂げています。

また就学後はどうかと言うと、しっかりと学童保育に繋がり、12歳まで希望する全家庭が入所できる標準的な制度として機能していたり、家庭育児への社会からのバックアップも手厚く両親保険(育児休業を取得した親に給料の80%を支給する保険)や16ヶ月の育児休業制度(父親も2ヶ月)、児童手当等々、高負担、高福祉の体系の下、子育て家庭を「社会全体で支える」仕組みを作り上げています。   そこで、比較論的な意味合いも深めつつ現状の日本の子育て周辺の事情について深いご理解がある立教女学院短期大学"今井和子"先生に「子どもを取り巻く環境」をテーマにコメントをいただきました。

子どもを取り巻く環境

* 乳幼児にとって最初に出会う"人"こそ最も意味を持つ環境

「幼児教育は乳幼児の発達特性を踏まえ、環境を通して行うことを基本とする」と謳われ20数年が経過しています。幼児教育は環境教育であると断言できるほど環境の視点が重要になっていることは言うまでもありません。環境は子どもを取り巻くすべてであり、その中でも子どもの養育にあたる大人は子どもと環境の媒介者であり、子どものモデル的存在でもあり、何より重要な人的環境であることは周知の通りです。

平成21年12月1日の朝日新聞一面トップに「小中高生の暴力6万件 3年間で7割増」という極めてショッキングな記事が報道されました。文科省が全国の教育委員会を通じて実施している調査結果ですがその要因については「感情がうまく制御できない」「コミュニケーションの能力が足りない」といった子どもの変化が背景にあることを指摘しています。なぜでしょうか?その原因を追究し、できる限りの改善を図っていくことが我々大人の責務ではないかと痛感しています。

* 子どもの世話をする特定の大人との愛着関係こそ葛藤を乗り越えるバネの力

私は子どもたちがこの世に生を受けての3年間こそ、コミュニケーションの基盤が築かれていく最も重要な時と思っています。人への基本的信頼感、即ち他者信頼や自己信頼が育つからです。「親(それに代わる大人、保育者など)が子どもと一緒にいることを幸福に感じることができたら、子どももその人と一緒にいることが幸福である。」(佐々木正美氏)豊かな人間関係はこれに尽きるといわれます。

子どもたちはテレビやビデオなどではなく、人と向き合い、気持ちのこもったやりとりの中で確実にこのコミュニケーション力、他者と共鳴し、分かち合う力をつかみ取っていきます。乳児が泣くと「どうしたの?おしめがぬれて気持ちが悪かったの?」などと言葉にならない乳児の訴えを適切につかみ、不快を快に変えてくれる人がいます。

日常の何気ないやりとりを通して乳児は「泣くといつも誰かが来てくれて世話をしてくれる。その人に安心して身を委ね世話をしてもらおう」と愛着の要求が出現し、それを基に自立の要求が芽生えていきます。 愛着は人が安定して生きていくための精神的な足場をつくる大切なもの。足場があるからこそ自立的に生きていけるのです。さらに愛着は、子どもが不安を感じたり危機的状況(困った時、挫折しそうになった時)におかれた時、自分を大切にしてくれる大人のところに戻っていき心の隙間を埋めてもらい安心感を充電します。

愛情対象の大人との絆ができると、その大人の慰めや励ましの言葉を思い出し、その人がそばにいなくても心の中で励まされ癒されていきます。感情がうまく制御できずアレたりキレたりするのは、一つには、自分の感情を言葉で表現できずに感情や行動が激化してしまうわけです。が、困った時、混乱した時いつも愛着対象の大人に支えてもらってきた経験がある子どもは、その大人に自分の苦しみや悲しみの感情を理解してもらい、気持ちの回復を養っていけるのです。どんな激しい感情も水路(人に分かってもらうこと)があれば治まっていきます。自分を認め支えてくれる大人がいるか否かです。人は人間関係を通してしか自分というものの存在の意味を実感できないのです。  

立教女学院短期大学教授  今井和子

 

今井先生のコメントの中で、とりわけ強く印象に残ったのは「子どもの愛着の土台、足場としての大人の役割、その上にこそ自立の出発がある」という基本的な姿勢です。

そして前回の当園主催の子育て講座でも「保育者は遊びに応じて子どもが求める対象(もの、場所、自然など)を用意する。そして子どもが自己実現をしたいと考えている対象にいっしょにであうこと」と締めくくっています。

*百花繚乱の教育法の中にみえる核となる要素

いまの世界中の様々な先駆的な教育、保育法には総じてみると一つのキーワードがみえてきます。それを一言で表現すると「自主性、主体性の尊重」ということになるように思います。 冒頭のスウェーデンの就学前教育改革、近年の保育プログラムに、大きく影響を与えていると言われているのはイタリアのローリス・マラグッツィが創始した「レッジョ・エミリア・アプローチ」です。  

また、多様性を追求し、伝達的、知識追求型の以前の形から離れたアプローチが顕著なオランダの教育、子どもと大人で手を合わせ「わからないことに気づくこと」を基本的なベクトルとするフィンランドの教育、ハラハラするほどの危険にも手を出さず自主性を尊重するフランスの保育、モンテッソーリ、シュタイナー、イエナプラン、フレネ、二キーチン、ドルトンプランなどのいわゆる独自オルタナティブ教育などもその核になり、エッセンスの中心にあるのは「自主性と創造性」にあるように思います。

日本の保育所でも「子ども本位」「見守ること」を理念に掲げる園が増えてきました。  ただ少し冷静になって考えてみた時、保育者の役割というのは「子ども存在の本源的なものに沿っていないか」というとまったく逆であることを、勇気を持って伝えたいわけであります。

* 保育という営みからみえる本質  

子どもと保育者が情緒的な関係にある時、甘えさせる時(いうまでもなく甘えは全然悪いことではありません)、スキンシップ、赤ちゃん返りの際には「ありのまま」をみてあげなければなりません。保育者が子どもの活動、遊びの水準を見極め「ときには見守り、ときに声かけだけとし、ときに一緒に取り組み、ときにできないことだけ手伝い、ときに先に見本をみせてあげて、ときに活動のリーダーになり子どもを引っ張る。」……そんな現場にみられる必要な判断を保育者が日常場面で行っています。

これらもいうなれば「沈黙知」的な要素も含むものの保育者の専門性 であります。 また、いかなる活動、設定、プロジェクトを行っている時も「個人差への配慮」に視点を戻した時に、「特定の子どもへの介入が必要」と感じた時には、保育アプローチは養護的な関わりに戻っていかなければ子どもの内面、土台も含めた成長に支障をきたしていくことになるはずです。 すなわちこれらを許容することは「本質的にも子どもの存在を肯定し、全体としての子どものありのままを認めること」であり、「幼子」の長時間の生活を担保するものであります。

*対関係性をベースとした育ちの保障

協同活動はダイナミックに行ってこそ、その「成果の収穫」が大きいものでありますが、集団である活動を行う中で、互いの行動を対象化し、時に合わせ、真似て、「共認」しあうことになり成長する。 「意見を主張」したい時に、仲間との育ち合い、関わり合いの仲で、いかに工夫をして「個」を発揮するのかという部分は、対関係性の場面でしか育たず、いうなれば「重層関係保育論」的な意味合いを持つことになるはずです。

ほかにも、障害児保育の現場に過去の理論を当てはめたものより、現場で得られたこと、試行錯誤の中から導き出されたもの、その都度、都度の「行動分析の集積」から得た関わりのほうが成果は大きいものですが、それらは本質的に「保育臨床論」であり、だからこそ定型化しづらいものであります。

すなわち、どこか子どもと離れた場所で理論を作り、当てはめようとしたり、法制度、宗教、生活習慣、論理体系、アイデンティティーそのものが違う国の理論を、検証もせず当てはめようとするようなことは厳に慎むべきでしょう。

さらに言うならば「スムーズな小学校との連携」を強調するあまりに、小学校の到達度評価、達成的評価という枠組以前の形成に不可欠な「発達的素地(レディネス)」の形成に不可欠な成熟的要因と経験的要因の両輪が軽視されてはならないと思われます。

すなわち「就学前」(プリ・アカデミック)施設が「小学校教育」の予備学校(プレスクール)的方向に向かおうとする流れは単純に間違えだと思われます。  

ぜひ政権与党はこれから取り組む、「就学前の幼児施設の改革」という新たな枠組みにチャレンジするならば、経済効率論を認めつつも、じつは何よりも大切な教育、保育という根幹に関わる制度を「国家百年の計」に立ち「保育臨床的な視野に立った制度設計」にするべきで今後を大いに期待したいところです。

渕野辺保育園  松岡 裕

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園庭の様子多くの方々からお問い合わせがあります園庭が完成をしております。

せせらぎ(小川)やログハウス、ツリーハウス、などがあり、虫や蝶、とりなども以前より多く見られます。

「自然暮らしの会」の清水国明さんとお仲間、ほいくえんの子ども達、当園職員、当園の父母のみなさまでつくりあげた自慢の園庭です。地域にお住まいの方も気軽にあそびにいらしてください。

 

 

 

 

 

 

 

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