(2002年3月1日号)

保育士の専門性とは何か……」

―子育ち、そして子育てを支援するために―

特集

 誰が何といおうと保育園の魅力っていえば、いきいき活躍する保母さん達の姿でしょうね。もう半世紀以上も前から、日本の保育士はそれぞれの保育園を舞台に子ども達を育て、子育てを支援し、地域社会を支えてきました。ちなみに、地方都市などで保育団体が主催する全国大会等があると、そこに集まってくる女性は、一見して分かってしまう独特の雰囲気があるといいます。

 きっと、動作がきびきび笑顔が優しかったり、少し感覚的だったり・・・・服装だって、年令より若いジーンズの似合う女性が多いからでしょう。そういうと保母さんて、何か脳天気?な人種をイメージするでしょうが、実際はそんな甘い世界ではなく、むしろ厳しい条件下で、必死になり重い責任を担っています。

 つまり保育という職業柄、多数の幼い子ども達や働く父母達がエンパワーメントする拠点になるよう、目指しているからなのでしょう。例えば、顔で笑って心で悩む…、なんていえば、少しオーバーな表現かもしれませんが・・・・。

 処で、「保母」さんという職名が「保育士」に変わったのも最近ですが、昨年その資格が法定化されました。即ち、保育士の呼称を、任用資格から国家資格化し社会的信用を高め、その専門性を地域の子育て支援に活用しようとする期待が込められているのです。

 その結果、新たに保育士養成講座の中にも新たに「家族援助論」という教科が入ってきています。そこで今回は、その執筆代表として活躍する網野武博先生(上智大学教授)にお願いし、この児童福祉法改正の真意と期待される保育士の専門性について、解説をお願いすることに致しました。

 

 「保育変革の波は、高く寄せては引き、さらに一層高く寄せては引き、という繰り返しが続いている昨今、いよいよ保育士の役割と機能を抜本的に強化する制度による変革が押し寄せて来ています。去る2001年11月末、新たな児童福祉法改正案が国会で可決され、公布されました。その内容の一つが、保育士の資格に関する法定化です。

 これまで、保育士の資格に関しては、内閣の決定による政令のレベルで定められていたのですが、今回は国会を通過して正式の法律の条文として位置付けられたことは、保育士の役割の重さを一層認識させるものがあります。今回の改正によって、保育士という資格は名称独占の国家資格となりました。保育士という名称は、都道府県に登録された者しか用いることはできません。しかも非常に重要な改正は、もう一つあります。

 それは、保育士の任務が、「保育を行うとともに、保護者に対する保育に関する指導を行う」こととされたことです。つまり、保育というケアワークの機能に加え、指導というソーシャルワーク機能が加わったことです。ケアワークとは、生活全般にわたる世話、介護、養護、保育等、その個人の生活に常時あるいは継続的、断続的に縦糸的に織り込まれていくサービスであり、ソーシャルワークとは、助言、指導、養育、支援、調整等、その個人の必要とする時間帯に、随時対応して横糸的に織り込まれていくサービスです。

 従来の保母、保育士は、まさに「子どもの保育」というケアワークを任務とするケアワーカーの典型でした。今後その役割に加えて、「保護者の指導」というソーシャルワークを任務とするソーシャルワーカーとしての専門家の資格をも有することとなったわけです。 この保育士の専門制にかかわる変革は、突然行われたわけではありません。その潮流は、1998年に公布されその翌年から施行された児童福祉法の大改正の際、保育所改革の一環として含まれていました。

 つまり、保育所は「乳児、幼児等の保育に関する相談に応じ、助言を行う」という努力義務が明記されました。さらに、10年ぶりに改定され2000年度から施行された保育所保育指針では、保育所の役割として、従来の通常業務としての保育に加え、地域における子育て支援が明記されました。これまでに先駆的な保育所等を中心に、これらのソーシャルワーク的な機能が広がり、徐々に多くの保育所に普及してきた歴史を背景にして、このような制度改正がなされたわけです。私は、今回の法改正の意義として、次の点を上げたいと思います。

 つまり、これまでしばしば問われてきた、誰がこのソーシャルワークを担うのかという課題に一つの方向が示されたことです。これまで徐々に広がってきた子育て支援とくに保護者に対する相談・助言という専門的営みを担うのは、「保育所」であると表現されてきました。しかし、それが「保育士」であると確認されたことの意味が、大きいのです。

 ご承知のように、保育士養成課程は既にこれと併せて改定されています。具体的には、教科として「家族援助論」が含まれています。ケアワークを基盤として、さらにソーシャルワークを担う保育士の役割は、21世紀の子ども家庭福祉の進展を担う一翼として、極めて期待されているといっても、過言ではありません。豊かな保育マインドを含んだ専門性を常に磨いて、この重要な役割を果たしていただくことを期待しています。                      

 上智大学教授 網野 武博

 こうして網野先生ご指摘の通り、典型的なケアワーカーとして位置付けられてきた保育士が、今や地域の子育て支援活動の中心的な担い手として期待されています。振り返ってかっての時代は、保育という営みが母親代わりに過ぎないからとその専門性は不当に低く評価され、保育士は幼稚園教育に追従する教科教育的な活動によってのみ活路を見出していました。それが、1970年代以降に始まる急激な都市化、少子化、核家族化などの社会変革によって、事態が一変します。

 即ち、女性の社会進出の加速化と比例するように、一人一人の生き方や働き方を支え合う社会的な価値観が広がり、そこから多様な保育サービスの促進が課題になってきたのです。そのことは、子ども達一人一人が園と家庭という複数の生活拠点をもっているだけに、保育士は父母とのコミュニケーション関係の活性化を欠くことができないことを自覚します。しかも在園期間が、人の一生の通過点であることを考慮すれば本来、家庭が保有すべき子育て機能を復元させる役割を重視する必要があることに気付くのです。

 そこから前回の法改正や保育指針の改訂を経て今回の改正による保育士の国家資格化につながったものですから、必ずしも認可外保育所の適正化をはかることだけが目的ではありません。しかしながら保育士は今後、社会的な信用を得て、その専門的力量を発揮するには、いくつかの克服すべき課題があることを自覚しています。その第@は、今回新しい領域の開拓となった地域の子育て支援活動ですが、ここでは保育士の意識を大胆に改革し、「迎える」「つなげる」「支える」などの基本姿勢を欠くことができません。

 それは、支援する対象が在園する乳幼児のみから、広く地域の親子にまで拡大したため、側面から係わるソーシャルワーク的機能が求められているからです。その点、一定経験を有する前向きな保育士は、既にその力量を秘めていますが、少なくとも私達が保育サラリーマン的な意識では、もはや通用しないことを確認しなければなりません。なぜなら、従来から行ってきた支援を求める人への活動のみならず、その対極にいるボランティアなど市民性を創造し、その両者をコーディネートするような役割が必要になるからです。

 いずれにせよ、単なる家庭育児の補完から、個々の家庭が育児主体性をもち、親子の相互作用がいきいき活性化するよう支援する領域、「助育」の姿勢が問われているのでしょう。第Aは、保育活動を一つのパラダイムとして学問的に裏付け、体系化するための課題です。もちろん簡単ではありませんが、残念ながら現状の保育学?は、資格取得が即ゴールとなり、その後は保育士個人の研究活動に委ねられています。

 とりわけ保育理論が、教育、福祉、心理などとの学際的な位置付けにあり、例えば一定経験を有する保育士が自らの保育実践を検証する際にそれらを参考にはしても、そのまま活用するには少し違和感があるものです。きっと、多数の子ども達とその生活の全て、しかもその個々の家庭との連携や支援を含む膨漠たる領域を視野に入れたものですから、一定の時空を超えた独特の世界があるからでしょう。

 一方、児童福祉施設はもちろん、障害者や高齢者の現場でもマンパワーの中心となり活躍するのが保育士ですが、それはいわゆる操作的、実験的な学問体系とは異なり、活動意欲を重視する人間科学が根底にあるからです。国では今インターネットによるリカレント教育も検討中ですが、情緒をコントロールするスーパービジョン体性の確立も含め、特に保育士業務を適格に職務分析する作業が欠かせません。まずは、実践的にして奥行きの深い保育臨床学を体系化するために、併設するモデル園での臨床研究をベースにするような新しい保育大学の設置が望ましいように思うのですが……。

 そして第Bは、今後、保育士自らが創るべき「倫理網領」が必要になるはずです。保育士が、社会から認知され家庭生活の日常に介入するかもしれない専門職になるからには、自らに課す一定の規範があってしかるべきです。特に今後は、保育の専門性とともに、一人の人間としての生き方やモラルが問われる展開になるのです。その点を自覚して私達は、さわやかな身だしなみや挨拶などとともに、何より人に優しいマインドと思いやりの心をもった豊かな社会性を大切にしたいものですね。

 

 

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