(2000年9月1日号)

「子どもの権利を考える」
−児童虐待防止法の成立を受けて-

特集

 2000年の5月17日、超党派の議員立法で児童虐待防止法が成立しました。今までは民法の親権優位の立場から、虐待事例が予測されても関係機関がなかなか家庭内に踏み込めない状況にありましたが、これで事態が大きく様変わりしたわけです。

 その背景には、子どもの人権に十分配慮するという権利擁護が柱になり、乳幼児の最善の利益を考慮した国連憲章による子どもの権利条約がベースになっています。

 ところで子どもへの虐待事例は、いまや家庭内ばかりか、悪質なベビーホテルや一部の児童入所施設、障害者や老人施設に至るまで社会問題化していますが、まずは今回、家庭内虐待に焦点を絞ってみることに致しました。最初に横浜弁護士会の前会長、井上嘉久先生(当法人理事)から次のコメントを寄せていただきました。

 

 つい最近、2000年4月から2001年3月まで全国児童相談所が受け付けた子どもへの虐待に関する相談や通報事例が前年同期より約6割増え、12,411件あったことが報じられた。ちなみに、平成5年には1,611件と報告されているので約8倍に増加したことになるが、これは虐待が急激に増加したというより、深刻な社会問題として表面化したとみるべきであろう。2000年5月に成立した児童虐待防止法の骨子は次の通りである。

1、児童虐待を18歳未満に対する

(1) 身体的な暴行

(2) わいせつな行為

(3) 著しい食事制限や長時間の放置

(4) 心理的外傷を与える言動

   と定義する。

2、教師や医師、弁護士などは虐待の早期発見に努め、発見した場合は速やかに児童相談所などに通告しなければならない。

3、虐待の恐れがある時は、児童相談所などが児童の自宅などに立入調査ができる。

4、一時保護された子どもの親などは、児童福祉司などのカウンセリング等の指導を受けなければならない。

5、児童相談所長は、親の意に反して一時保護などで入所させた子どもに対して親が面会や通信するのを制限できる。

 しかしながら児童虐待の問題は、必ずしも法律が制定されたからといって解決するわけではない。例えば児童相談所の人的、機能的体制の強化、専門家の養成、司法との連携、地域社会の協力など山積する。しかも心と身体に深い傷を負った子ども達を保護し、傷を癒していくということは、とりもなおさず傷ついてしまった親のケアと直結するのである。いま私達は、傷ついた子ども達、壊れた家族について、みんなで関心を持ち、考えていくべき時期に来ているのだろう。

井上法律事務所 井上 嘉久

 

 井上先生が指摘するように、今までの非社会的な個別の虐待を今後は、基本的な人権問題として大きな社会的課題となるよう位置づける必要があります。例えば炎天下クルマの中に幼い子どもを閉じ込め、脱水症状を引き起こしたり、父母がパチンコに熱中して店内に放置されている状態など虐待事例に該当するのはもちろんですが、何より子ども達一人一人が人格を持った一人の人間としてのスタンスを確保することにあります。

 少なくとも、親の従属物のような半人前の扱いであったり、未熟な自己表現力や自己防衛力につけこんで、一方的に大人が支配することがあってはならないのです。とりわけ父母に養育する権利があるのではなく、幼い子ども達が健やかに育ててもらう基本的人権を所有するという認識が必要です。

 そして健やかに養育されるという意味は、生きる権利、発達する権利、愛される権利が保証されることであり、食事、睡眠、遊び、学習等の基本的な生存権はもちろん、虐待、差別などがありえない、人としてのプライドが尊重される必要があるのです。そのためには、子ども達一人一人がありのまま素顔の自分を表現することが許されること、それが大切な基本条件になるはずです。

 特に、子ども達がいま、必要としているのは、日常生活の充実であり自分が自由に使える時間です。自分が本当にやりたいことをたっぷり楽しむことの中でこそ、人と係わる力や考える力、感じる力が育っていくのです。何より子ども達に自分の意志決定できるチャンスを保証することこそ、子ども達の基本的人権に直結するのではないでしょうか。

 一方、虐待事例の加害者となる親の立場はどうでしょうか。発達心理学者の、繁多進先生(当法人理事)は次のように分析しています。

 

 つい先日、幼い子ども二人を連れて母親が相談にきた。「私はやがてこの子ども達を殺してしまうのではないかと心配で心配で、それで相談に来ました。」と言う。事実、毎日のように特に上の子ども(2歳)を叩いていると言うのである。話を聞いてみると、仕事もせずに暴力を奮う夫をもっていること、困った時にはいつでも支えてくれるソーシャルサポート(親戚、近隣、友人)をもっていないこと、そしてその母親自身が子ども時代に信頼に満ちた親子関係を経験していないことが分かってきた。

 母親が子どもを虐待する時の条件が揃い過ぎているのである。育児に協力するどころか、経済的な不安をもたらし、暴力まで奮う夫をもち、しかも親身になって支えてくれる社会的サポートもない社会的孤立という状態に置かれていたら、そこからくる多大なストレスを子どもに向けたとしても不思議ではないだろう。このような場合は、まず生活保護などによる経済的困難の解決や、いつでも話を聞いてあげ、親身になって援助してくれるソーシャルサポートを与えなければならない。

 もう一つの問題は、「虐待の世代間伝承」と呼ばれる問題である。子ども時代に親から虐待された経験のある人が親になった時、同じように子どもを虐待してしまうという問題である。相談にきた母親は、この問題を持っていた。この問題を解決するには息の長いカウンセリングが必要かもしれない。

 今からでも誰かと信頼に満ちた人間関係を経験させる必要がある。そのような気の毒な親を作らないために、まずは私達が子ども達を「人を愛せる人間」に育てることが児童虐待をくいとめる最大の近道のようである。

白百合女子大学教授 繁多 進

 

 繁多先生の指摘から、加害者の母親もまた虐待される子ども同様、被害者の立場であった例が分かり易く記されています。例えば保育現場にしても、保育者の手が足りず余裕のない場合など考えれば、無意識のうちに子ども達を追い立てている自分に気付くことも予想されます。

 最近は当園の育児センターにも、虐待またはそれに近い相談事例が多くなってきています。知らずに手を上げている自分が恐ろしくなるとか、自分の子どもなのにどうしても好きになれない等、特に電話相談では住所や名前は問いませんから、そんな深いところまで入っていいのか心配になる程です。そうした本音のストレスや悩みを懐深く受け入れながら、何よりその気持ちに寄り添うような姿勢を大切にしています。

 いくら建前論を繰り返しても、二度と電話相談を利用することがないので、問題解決にはならないからです。また、児童相談所などの紹介もあって被虐待児が、一時保育の現場に在籍するケースが増えてきました。傷ついた幼い子どもを保護し心身の発達を保証するとともに育児ストレスを少しでも解消することを目指して積極的に受け入れていますが、その効果は計り知れません。

 子ども達はもちろん、閉塞的な密室化した子育てから、母親自身がリフレッシュして開放され、いまや多数の方が「ふれあい広場オアシス」など育児センター事業の中心メンバーとして活躍するようになってきたからです。

 こうしてみると虐待という問題の根本は、陰湿かつ孤立化した条件を、いかに克服するかにかかっています。そして未熟な幼い子ども達のネガティブな情緒を含む「ありのまま」を受け入れること、そのためには子育てをする親への共感と支援、そしてソーシャルサポート体制を保証することにあるのです。

 それには私達保育園が有するコンピタンス、多数の子ども達や父母が在籍し、生活と遊びのノウハウが蓄積されている子育てステーションであることの自覚から、それを開放する姿勢こそ、もっとも効果的な力になるのではないでしょうか。

 

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