特集(2002年12月1日号)  

”社会福祉法人を検証する…”

―社会福祉法人よ胸を張れ!!―

特集

 いま、福祉の市場化、産業化に始まり、社会福祉法人の『不要論』まで議論されています。一部の企業関係者経済学者、法学者等で構成する政府の『総合規制改革会議』等の討議からです。ちなみに、コスト論に端を発し、効率性、利便性追求を目的に、福祉への企業参入を促進させるには、とにかく競争条件を同一にする必要があるという見解なのでしょう。

 例えば、保育の領域でも「供給不足、低サービス、高コスト」等、その全ては市町村が介在し、社会福祉法人が独占する構造にあるからというのです。本当に、私達が必要とする福祉サービスが、そんなシステムで保障されるのでしょうか。

 そもそも社会福祉法人は、戦後定められた社会福祉制度の基本法となる社会福祉事業法により、主たる社会福祉事業の担い手として誕生しました。それは、利用者主権時代に改正された新社会福祉法にも明確に示されています。そのため社会福祉法人には、公益性、非営利性、継続性、福祉性等が条件として課せられ、その見返りとして税制面の優遇措置がとられてきました。

 例えば、福祉サービス提供により生じた剰余金は、株式会社のように株主に配当することはできないし、安定的に進めるため担保する土地や建物の処分は全面禁止されています。しかも、全ての地域住民が日常生活上、必要とする様々な福祉サービスを提供する公共性の高い民間法人であります。

 現在、その社会福祉法人は全国におよそ16,000法人程あり、それぞれが高齢者、障害者、児童等、領域ごとに質の高い福祉サービス提供を目標にしています。また、そうした直接サービスのみでなく、未来社会を展望した福祉の街づくり等、地域福祉の拠点として様々な関係機関とネットワークを組みながら、福祉の心を育てるステーションのような役割を目指しています。以下、福祉界の大御所、京極高宣先生に「社会福祉法人の何たるか」を解説していただきました。

 

 『現在、社会福祉構造改革が進む中で、社会福祉法人への風当たりは誠に厳しいものがある。特に、政府の経済財政諮問会議や地方分権改革推進会議などでは、妖しげな経済市場主義が議論の大勢を占め、あたかも民間企業が善玉で最も優れており、公益法人、なかんずく社会福祉法人が悪玉の代表のようにも言われているむきもある。もちろん私ども福祉の関係者、とりわけ社会福祉法人のサイドにもそうした批判を受ける弱点がなかったわけではない。例えば福祉経営の視点を欠落し、もっぱら福祉措置制度の下で、行政からお客さんを紹介され、お金をいただき措置費を予算消化すれば事足りるという姿勢がなくはなかったか。  

 ところで、社会福祉基礎構造改革の進展により、福祉措置制度は利用制度へと大きく移行しつつある。とすれば社会福祉法人の淵源を知ると、福祉措置制度下の措置費の受け皿として、社会福祉法人がスタートしたわけであるから、社会福祉法人の歴史的使命は終わり、社会的役割がなくなったとする議論が、先の政府内の議論とは別に出てきても至極当然なのである。もちろん、私はそれを支援しているわけではない。しかし社会福祉関係者はおろか社会福祉研究者においても、社会福祉法人の今日的存在理由をポジティブに展開する議論は意外に少ないことも事実である。(その例外として私ども日本社会事業大学の新鋭教授の北場 勉氏の労作「戦後社会保障の形成」(中央法規、2000年1月)の「第3部社会福祉の運営形態―社会福祉法人制度の成立とその今日的意義―」がある。)  

 しからば、社会福祉法人の今日的役割は如何なるものか。それが大問題なのである。私は新たな社会福祉法の下で、社会福祉法人の法制的位置付けは大きく変化したと考えている。というのは、措置の受け皿(いわゆる措置箱施設)としての社会福祉法人から、地域福祉の要としての社会福祉法人への変身しつつあるのが、今日の状況だからである。加えて、社会福祉法人独自で低所得者への配慮、行政措置の緊急受け皿など、株式会社には真似のできない役割を社会福祉法人は持っている。さらに社会福祉法人は、地域福祉の中軸である社会福祉協議会を構成する中心メンバーであり、平成15年度から策定される市町村の市民参加型地域福祉計画の策定メンバーにも予定されており、単なる福祉サービス事業者の地位を越えている。

 したがって、福祉サービス事業者の仲間にNPOや農協、生協はもちろん、株式会社が参入することは今日では当たり前で、これは市民のための福祉サービスの多様化、多元化を従来から主張してきた私の持論であるものの、逆にそうだからといって社会福祉法人の今日的役割を否定し、株式会社などと同格化させる議論は余りにも短絡的である。むしろ歴史的、実証的、理論的な分析抜きの愚論というべきである。したがって、社会福祉法人の今日的意義を社会福祉施設等は胸を張って主張し、地域社会において言行一致で他の法人に負けない優れた実践をしていってもらいたい。

 

日本社会事業大学学長・元厚生省社会福祉専門官 京極 高宣

 京極先生から社会福祉法人は、温かくも厳しい課題をいただきました。措置の受け皿としての役割は終わり、地域社会での優れた実践が課題になるというご指摘には、何より私達社会福祉法人の意識改革が欠かせません。そのためには「言われたことを言われた通りにする」式の法人運営から、「言われなくても自らの判断で実施する」経営への変革が条件です。言いかえれば地域社会の多様なニーズに応え、有限資源の有効活用を目指す主体性、創造性あふれた法人経営が問われているのでしょう。それゆえ、基礎構造改革など福祉制度の大きなパラダイムチェンジをタイムリーな「機会」として捉えるような発想転換も必要になるはずです。

 しかしながら、法人の定款に記載された目的といっても、実践する社会福祉領域や、地域性、沿革などに一切関わりなく、一言一句「テニオハ」まで縛られた全国一律の定款準則が定められています。また施行された新会計基準は、施設会計中心主義に変革し、自治体など行政主体も施設種別ごとの縦割り構造から脱皮せず、法令による形式的な指導監査を除くと社会福祉法人への認識や理解はほとんど得られないのが実状です。

 例えば、人事権や苦情解決、利用者事故等、責任を問われる当事者であっても、その権限が与えられていないスタンスにある法人なのです。こうして一方において厳しい規制によって縛られながら、制度的にも社会的にも社会福祉法人の存在意義が軽んじられ、単に施設の上に載せられた霞?のような存在に過ぎなかったと言えるかもしれません。こうして手足を縛られたままの社会福祉法人が、多様なニーズに応えない保守的な体質にあるといって、一挙に市場経済システムの導入という議論には、いささか異論があります。

 しかしそのためには、法人設立の理念やミッションを振り返り、今日における自らの使命や役割を明確化しておく必要があります。特に最良の福祉サービスと経営効率化の両立が課題ですが、それには競争社会から切り捨てられる弱者への配慮、ソーシャルワークを基盤にする福祉性、継続性が欠かせません。また、たてわり社会を克服し、人と人とが支えあうノーマライゼーション社会実現への取り組みも社会福祉法人の大きな目標です。ちなみに、福祉対象ごとに分断した行政機構だけでは、どうしても家族援助や地域福祉という視点が欠落しがちになるからです。

 それゆえ社会福祉法人には、スケールメリットを活かし、1+1が3にも4にもなるような複合機能、複合施設化への取り組みが大切ですが、例え一法人単独施設であっても法人と施設の役割分担や他法人とのネットワーク化によって福祉社会の広がりが期待されます。ちなみに、かっての社会福祉法人は、いわば統一基準により評価され拘束されてきましたが、これからの法人経営は多様かつ選択が可能な主体性と創造性を有するスタンスを確保し、大きく地域社会に展開することが目標になるでしょう。そのため過日、法人の個別活動から面への広がりとなる地域福祉活動のネットワーク化を目指し、市内有志の30法人と連携して、連合体組織としての「さがみはら福祉経営協」(会長小川アキノ氏)を立ち上げました。

 平成15年度には、中核市に移行する相模原市にも、法人存続の歴史や福祉理念の真髄をご理解いただき、明確な支援体制を構築していただくとともに、異業種社会福祉法人同士が互いに情報共有し、協働しながら法人経営について謙虚に研究、研修していこうというものです。例えば第三者評価やISOの導入、能力給など賃金体制の見直し、理事会、監事監査、評議委員会の活性化など当面の課題は山積しています。今や、社会福祉法人が有する限りある福祉資源といえばマンパワーそのものですが、その人材を「人財」に変えていくような取り組みこそこ私達の目標になるからです。とにかく京極先生のご指摘のように私達は胸を張って、地域福祉のネットワーク化を推進していくことが21世紀の目標になるでしょう。  

 

 

もどる