渕野辺保育園の保育基本方針について

〜平成14年度渕野辺保育園新保育基本方針「ふるさと保育」〜

(平成14年3月30日)

@趣旨   

 '90年代に入って一段と加速した少子高齢社会の進行、その止まるところを知らない深刻な流れを抑止するため、いまや大都市圏を中心とする保育所の待機児解消は喫緊の課題になっています。

 例えばそれは、定員基準の弾力化、分園制度設置等の社会福祉法人の制度改革のみならず、設置主体制限の緩和、PFI方式の設定、自治体による準認可制度の導入、公設民営化の促進など、企業が保育参入しやすい条件を確保するため、障壁を低くすることが主流です。

 一方、コスト論に端を発した聖域なき構造改革は、厳しい財政事情のもと保育や福祉の領域にも市場原理の導入を想定し、保育産業化への道が模索されています。確かに、現状の社会福祉法人の優遇制度には、不公平感の除去や不正防止等に多く問題がありますが、だからといって保育や福祉の領域を経済政策や労働政策に位置付けること自体、大きなリスクを孕んでいます。

 いま私達が大切にすべきは、急増する児童虐待など深刻かつ多様な問題を抱える社会にあって、この未来を担う幼い子ども達、その一人一人の育つ権利と健全な発達を保障していくことにあるのです。

A規制改革の動き    

 こうした背景から昨年暮の総合規制改革会議の第一次答申は、保育領域に大胆な規制緩和、規制改革を進めることが提言されています。例えば、従来の保育制度には厳しい拘束があり、参入規制、利用者規制、内容規制、料金規制それに利益規制まで存在していました。

 その結果、高い公益性や福祉性が担保され、一定の公的信頼基盤が保障されていましたがその分、多様なニーズへの即応性やコスト意識が欠落し、また待機児の解消に効果的な制度になっていないと指摘されてきました。例えば最近、各地で動き出した公立保育所の民営化計画ですが、既存の社会福祉法人に受託への意向打診があっても、余り進展していないという事実をどう受けとめたらいいのでしょうか。

 きっと、現状の制度や仕組みでは、私達が積極的にニーズに応え業務を拡大しようとしても、その責任や負担が増える一方で、必ずしも評価される構図になっていないからと思うのです。

 しかし、だからといって保育制度の全面改革を掲げ、従来の仕組みを一挙に市場原理に委ねようとすれば、今まで育ててきた保育価値観は混乱するのが必至です。それゆえ、いま必要なことは既存の社会福祉法人が変革できうるような条件を策定すること、それをまず優先課題にあげるべきではないのでしょうか。

Bマニュアル化と保育の商品化への問題    

 こうして、構造改革によって行政が与えてきた福祉から「利用者主権」時代に転換し、権利としての福祉サービス、保育サービスという利用者意識が高まってきています。そのことは、保育所本来の利用者は子ども達ですが、いつのまにかその父母を「お客様」とするような「保育の商品化」への方向が危惧されています。

 もちろん、今までの福祉観に反省すべき点もありましたが、だからといって父母をお客様待遇に格上げすれば、その言いなりになることを強制する展開になることが予想されます。大切なことは、父母と保育者とは常に対等な関係にあり、互いに子育てを分担しあうパートナーというスタンスにあることです。

 ちなみに、父母の言いなり状態に陥って保育の商品化が進むと、才能開発の早期教育やライセンス契約の特別保育、あるいは夜型生活の助長など表面的な保育観や評価基準に陥ってしまう多くの危険性を孕んでいるのです。一方、保育のマニュアル化には、多くの議論がありますが、普遍的、定型的な領域やリスクマネージメント等の標準化、文章化は、もはや避けて通ることはできません。例えば、※ヒヤリハット事例集の作成など、事故の発生頻度を減少させる取り組みには、個人の失敗事例として内に留めず、全職員の共有化を図ることが必須条件になるからです。

 しかしながら、私達はどうしても保育の質的な面をマニュアルによって保証することを認めることはできません。何故なら、保育の計画者、管理者、実施者とを分離し、保育者の自主性を損ね、早期教育など目玉商品的保育が乱入してくる惧れがあるからです。しかも、子どもの視点から保育計画を組立てるという展開に程遠いものになり、地域に依拠するアットホームな保育園から、全国組織に統合された大規模チェ―ン化が進むことも予想されます。

 特に、親の利用者感覚が進み、保育に不可欠な、親と保育者が協力して子育てをしていく関係がどんどん希薄になっていくことが危惧されているからです。 それゆえ、私達が目指す保育改革には、保育の原点に返って、人と人との豊かな関係の中で人への信頼感、自己有能感を育み、主体性をもった子ども達を育てていくことにあります。

 そのためには、便利さだけを追求した過密な保育室やビル内の保育室だけを目指すのでなく、動植物や水、土、太陽など自然の恵みをふんだんに取りいれた、心の"ふるさと"づくりを目標におかなければなりません。それが今日のマニュアル化、都市化、コンビニ社会化の中に生きる子ども達を、唯一救うための手立てになるからです。

ヒヤリハット事例集

C"ふるさと保育"の基本哲学は     

 そこで私達は、保育の原点に返って、"心のふるさとづくり"を目指す保育とは何か、全員が共通するイメージづくりを構築することからスタートしました。当園の"ふるさと保育"、その※基本理念となるべき保育哲学を、大正から昭和にかけ、日本のフレーベルと呼ばれた「倉橋惣三先生」から多く学ぶことが最適なのではないかと考えました。

 彼は、幼な子の無垢な心と人間本来の自然体を硬直化した社会から開放するために、その一生を捧げるのですが、半世紀を過ぎた今日でも実に新鮮で、深いロマンを私達に感じさせてくれます。きっと、現在の保育は、哲学の貧困といいましょうか、微視的で小細工なヤラセの技術論が余りに多いからなのでありましょう。

 また、いわゆるワンパターンの思考形態に多くの保育関係者が固執しているのは、見方を変えれば私達が、政策的な面あるいは営利的な面に強く押し流されがちな風潮にあるといえるからです。

 いま私達が必要とするのは、テクニカルな保育技術を求めるのでなく、人間としての保育の本質論に深く立ち入っていくことを目標に、ロマンの世界をじっくり読み取る心です。もともと、ロマンや夢の感じられない仕事など、力の入るわけがありませんから、この倉橋先生のロマンをさかのぼりながら、私達自身、保育へのロマンを、より大きく膨らませていこうとするねらいがあります。

 それゆえ今年度は、恒例の保育研究会を乳児期、幼児期等に細分化せず、全員が一緒に倉橋先生から学び、その中の分散会討議によってクラス毎の研究課題や情報交換、事例報告等を随時入れていくことを目標と致します。

(※荒井 洌 著「保育へのロマン」から一部引用)

D"ふるさと保育"の展開について   

 さて、子ども達の心を育てる"ふるさと保育"をイメージすることができたら、それを保育現場でどう実践していくのか、保育者の力量にかかっています。きっと、クラスごとに発達年令を基点に試行実践していくものですが、そのためにはまず園全体の保育目標を共有することが前提になります。

 例えば、できるだけ手や足など素肌を使って自然体験をとり入れることをテーマにすれば、一つの案として子ども達全員が草履を履くこと等も検討すべき課題になります。ちなみに幼い頃から、靴を履かせてしまうと、本来培っていくべき足指の機能化を完全に奪ってしまうと言われています。その場合、子ども達が外靴を履いたまま、竹馬に乗ろうとする場面を目撃しても、それを許してしまう保育者が一人でもいれば、園全体の統合性がとれていないということになります。

 そして、この"ふるさと保育"の核となるのは、子ども達を取り巻く応答的な保育環境ですが、特に充分に吟味した計画的な構成や設定がポイントになってきます。まず、大型の園庭遊具等の整備には、予算問題や近隣関係もあって簡単ではありませんが、泥んこ遊び等をベースにする環境構成から、ビオトープのような発想転換の導入まであるでしょう。ちなみに、このビオト―プとはラテン語ですが、ビオ=「生命」、「ト―プ」=場所のことを指し、最近の都市計画等で意図的に自然を復活させようとする新しい試みであります。

 しかしながら、保育園独特の雰囲気を感じさせる風情といえば、ブランコ、滑り台、鉄棒、それにヨシズの張ってある砂場等が欠かせません。それらはきっと、大人になっても決して忘れることが出来ない想い出の場面となって、ふるさとのように一人一人の心を熱くするはずです。一方、各保育室内の環境構成をと考えるなら、壁面装飾はもちろんですが、木の素材を使った素朴な家具や教材などの導入も欠かせません。

 特にプラスチックの玩具から、木製の玩具に変えていくには、その清掃管理も含めて、保育者は大胆な発想転換が求められるのです。ちなみに今年は、各クラスに保育室の環境改善補助金を例年より多く用意しましたので、多いにこだわって配慮する計画です。

 そして保育者は、童唄や童話、それに四季折々の行事や昔風の遊び、例えば草笛、こま回し、けんだま、竹馬、縄跳び、あやとり、お手玉など等いろんな遊びを研究工夫していくことが課題となりました。また一年中、子ども達が直接、畑の体験など土いじりが出来るよう岡本氏にお願いし、貴重な農地を空けていただいています。

 ぜひ年長、年中クラス等は、計画的な農作業によって、その空間を大いに活用して欲しいものです。なお、食事づくりには、和食中心の献立や食事方法等も含めて、いろんな工夫が必要ですが、特に無農薬の野菜など素材吟味も新たな研究課題になります。それらは、アトピーアレルギー対策とも整合するはずですが、まずは産地直送の有機無農薬のコシヒカリを、この4月から使用することに致しました。

 こうして、"ふるさと保育"の創設には、実践する保育者の柔軟な発想による様々なアイディアが期待されます。そのために必要となる最低限の資金確保が欠かせませんが、いうまでもなく保育の原点といえば、手作りの世界、そのものであります。

 それこそ、"米百俵の精神"を活かして改革すべきですが、何より大切にすべきは保育者がじっくり腰を据え、マニュアルでない本物の保育を志向することにあります。例えば、紙ヒコーキを折るにしても、保育者から与えられたコンパクトな用紙を使うより、新聞紙などいろんな紙材を試しながら完成させた方が、ずっと心に残る感動があるからです。

Eおわりに    

 いま、保育園が新設されると、そのカラフルで斬新かつ合理的な施設が注目されますが、その対極にあるこの"ふるさと保育"から、子ども達やその父母の心に何が残るのでしょうか。きっと、温かくて、ほのぼのとした「ぬくもり感」が漂い、独特の郷愁が余韻となるなら、まずは私達が目指す保育、そのものと整合するはずです。

 そのためには特に、私達の周囲にある自然の全てを身体全体で感じ、その摂理を発見し、また天然の妙なる音や身の回りの優しい声を聞こうとする感性が求められます。それゆえ、ふるさと保育の実践には、保育者自身が自分の心に向かって呼びかけていく、そんな一面があるのかもしれません。

 そして、その父母との関係もまた心を開いて、何でも話し合えるような"長屋的な子育て支援"の関係こそ、私達の大切な目標になるのでしょう。ちなみに、デイサービスの悠々が「ふるさと介護」を目指すとすれば、さらに古典的で牧歌的な世界が、いきいきイメージされるような気がします。